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- 六日町(近世)とは
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六日町(近世) 江戸期~明治初年の町名江戸期は若松城下郭外北部のうち上【うわ】町に属し,甲賀町の東に並び,六日町口郭門を北に行き,上二之町に至る通り長2町15間余・幅5間町名は6の日に市を立てたことに由来するという大工町を境に南を上六日町,北を本六日町【ほんむいかまち】と称した化政期の家数49軒(新編会津)当町は天正年間に蘆名盛氏が本郷村岩崎より黒川城に帰住した時,ともに移ったという(同前)「伊達天正日記」(伊達史料集上)天正18年3月22日条に「馬場・大町之しゆ(衆),出立申候ヲ,御庭にて御覧し候晩かた六ケ町へ御出,御馬めさせられ候」と見える下坂家は鎗・長刀を作り,寛永年間近江国より会津に来住し,藩士に列せられた年未詳だが,明治初年若松上六日町・若松本六日町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」